〜エゴと向き合う〜
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『本当の愛とは何なのだろう』
誰かを好きになると、そう思い悩む人もいるのではないでしょうか。
自分の望む幸せと相手の望む幸せが違った場合、とても思い悩むと思います。
私は、相手が幸せになること、笑顔でいられることが、自分も幸せと思えることこそが本当の愛だと思っています。
損得勘定でも、give and take でも、win-win でも無い、ただ相手の幸せを願い見返りを期待せず与えることで自分も幸せと感じる無償の愛、それがホンモノではないでしょうか。
逆に、与えても自分が幸せを感じ無いのであれば、それはホンモノではありません。
また相手の意志やアイデンティティを変えてまで、自分の欲求を押し付ける、我を押し通すのは、ワガママ(我のまま)ではなく、自分のエゴや執着です。
一人称のワガママは自分の自由を表すのに対して、他者が関わる二人称以上のエゴや執着は、相手を束縛するもの、相手の選択の自由を奪うもの、相手を尊重しない自分が一番大事の「自分さえ良ければいい」という利己的な考えや行動です。
相手が望んでいることを無視する、相手が嫌だと言っているのに相手が悲しむようなことや恐怖を与えるなどは、愛とは呼べません。
自分の都合の良いように現実をねじ曲げ、愛を履き違えて見ているのに過ぎないのです。
本当に相手を愛しているのならば、相手の望む幸せを優先し、自らが値いしない現実を認め、身を引くのも愛情ではないでしょうか。
綺麗事のように聞こえるかも知れません。
ですが、お互いの望む愛の形がピタッと合致する統合は本当に奇跡なのです。
もちろん、違いから育んでいく愛もあるでしょう。
ですが、どうしても溝が埋まらない、差が縮まらない、手が届かない、お互いが傷つけ合う関係の場合は、自分も相手も解放してあげるのも、優しい愛情だと思います。
エゴや執着を認め手放すのは、確かにとても辛いですし、苦しみも悲しみも大きいでしょう。
しかし、自分の価値を下げてまで、相手に嫌われてまで、相手を悲しませてまで、続ける意味はあるのでしょうか。
外側の現実に執着し、何がなんでも変えようと躍起になると、結局は望む愛は壊れ、離れて行きます。
現実の創造主は自分です。
外側の現実の執着は手放し、内側の自分のエゴと向き合うこと、内側を整えることが、実はちゃんと望む愛が手に入る近道なのです。
先ずは一旦そのエゴを捨ててみて下さい。
諦めるのは弱さではなく手放す強さです。
そして、次にくる本当の愛を受け取る準備でもあるのです。
新しい愛が来る場合もあれば、手放した愛がホンモノに形を変えて再び来る場合もあるでしょう。
何れにせよ、自分が追い求める望む愛は、エゴでは無いのか、執着ではないのか、とことん内観し自分と向き合ってみて下さい。
自分にも相手にも期待する愛は、それは条件付きの愛であって、真の愛ではありません。
愛とは、自分も相手も、ありのままの存在を受け入れ認め、与えていくこと、それが幸せに感じられる自分がいることだと、私は思います。
自分を見つめ直す自己統合をとことんやった先に、真の愛に辿りついた相手との統合が待っているのです。
そして同じ愛の方向を歩む相思相愛の理想の関係になって行きましょう。
恋愛に限らず誰かを愛することは人生最大の学びです。
皆さまの真実の愛を手に入れるお手伝いが出来たら幸いです🌸
追記:手放した愛は学びという自分の資産になりレベルが上がるんですよ。
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